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9.132020
核開発 被爆から目を背けず1
私は,毎年長崎原爆の日の前後に,地元の美術仲間たちと一緒に「ながさき8・9平和展」の開催に関わってきました。一般から寄せられた美術作品を展示して
戦争や平和への思いを表現するものです。その企画委員だった縁で1990年代後半,米ニューメキシコ州の画家から美術交流展を開こうと誘われ,現地に足を運びました。
くしくもニューメキシコ州は,米国が大戦中,核兵器を研究し,終戦間際には砂漠地帯で核実験もありました。広島,長崎で人類史上初めて核兵器が使用される惨劇を生み出した場所です。砂漠を移動するバスの車内で現地の人から「このずっと向こうで核実験があった。」とも聞きました。
滞在中には核関連の展示施設も見学しました。長崎に投下された「ファットマン」の模型や,投下後にがれきになった広島や長崎の写真があったのは覚えていますが,長崎原爆資料館に展示されているような,熱線で焼け焦げた子どもやケロイドの痕が残った被爆者の写真などはなかったように思います。
米国内では,原爆のおかげで戦争が終わった,というのが一般的な見方だと言われています。その施設を訪れた時も何となくそんな雰囲気を感じました。
今回の絵は,バスの車窓からみた砂漠です。赤茶色の大きな岩,か細い木が点在しています。人工物はなく,広がり続ける自然の美しさを率直に描きました。同時に,この自然のどこかで秘密裏に核開発が進められ,実験まで行ったのかという寒々しさや空虚さを表現したつもりです。誰もが長崎、広島とは無関係ではなく戦争や被爆の重さから目を背けないでほしいとの願いがあります。 ウエダ清人
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